祝!三鷹市・矢吹町交流50周年 ありがとう、これからも。
東日本大震災から3年。家屋の3割が全半壊、被害総額50億円以上もの大災害を経験した矢吹町の復興が着実に進んできました。三鷹と矢吹の50年の交流をふり返りながら、ふたつの街の新しい時代を、想いも新たに進んでいきましょう!
矢吹町のご紹介
三鷹市と福島県矢吹町は姉妹市町となって今年で50周年。ここで矢吹町について、あらためてご紹介します。
★矢吹町について
ヤブキマチと読みます。ヤブキチョウではありません。
東京から高速道路で約3時間、新幹線+東北本線で約2時間半ほど。
福島県の入口にあたる白河市の北側にあります。
面積60Km2、人口17,700人ほど。
ちなみに三鷹市は面積16.5Km2、人口177,000人ですので、面積で3.6倍、人口が10分の1ということになります。
【写真】大池公園の古代ハス
★大規模な開拓で肥沃な農地が生まれた
矢吹町には、昔から農業用水が不足していました。このため国は「国営白河矢吹開拓建設事業」を行い、大規模な羽鳥ダムを建設し、大径管の用水を引いたのでした。
1964年に完成したこの事業で、矢吹町は肥沃な農業地帯に生まれ変わりました。
現在、矢吹町の農家は約1,000戸。震災で打撃を受ける前の農業生産額は約50億円にのぼります。
★美味しいものが育つ町
西の那須連山に源を発する美味しい水が矢吹の自慢です。
地下水も美味しい。この水でお米が育ち、お酒ができ、野菜が採れます。
7月夏まつりで美味しいと評判だったトウモロコシやおにぎりの秘密はこの水にあります。
お酒の好きな方は、ぜひ矢吹駅前の大木代吉本店の純米酒をお試しください。
この秋の復興感謝祭には、若手農家グループ、ぐるぐるノーカーズの方たちも出店します。
美味しいものを楽しみましょう。
★三鷹とのご縁とは?
1955年から20年間三鷹市長だったのが、鈴木平三郎氏。全国で一番先に下水道整備をやり遂げた名市長です。
この鈴木市長の息子である医師の故・鈴木克己(かつき)氏が、やはり当時矢吹町長だった大木代吉氏のお嬢さんと縁あって結ばれました。これがきっかけとなって、1964年三鷹市と矢吹町が姉妹市町の提携を結ぶことになりました。
克己氏が開設した矢吹町の西白河病院は、現在に至るまで地域医療の拠点として大きな役割りを果たしています。
★震災を超えて
地盤がやや弱いこともあり、2011年の震災で、矢吹町は建物の約3割が全半壊するという大きな被害を蒙りました。
毎年三鷹市民駅伝で活躍する矢吹中学校の皆さんが学ぶ校舎なども滅茶苦茶になってしましました(昨2013年秋に新校舎が完成)。
震災から3年が経ち、こうした痛手を克服して、新しい時代に踏みだす時期がきました。
この9月20日には三鷹市管弦楽団が中学生の皆さんと演奏交流があります。また、21日の復興感謝祭には、三鷹中央通り商店会所属の阿波踊り・みたか連が矢吹で初めて踊ります。
三鷹と矢吹、ふたつの街の友情がますます深くなっていくといいですね。
【写真】みたか連(2014.8.30)